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*この記事は「女たちの21世紀」No.88【特集】「女性宰相」待望論の光と影――女性大統領・女性都知事・女性党首時代を読む」の「国内女性ニュース」に掲載したものです。ご寄稿いただいた山口さんの許可を得て特別公開いたします。

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自民党「家庭教育支援法案」―公による家庭への介入懸念

 自民党が来年(2017年)の通常国会で「家庭教育支援法案」を提出する予定だと報道された。国や自治体に家庭教育を支援する施策を策定・実施する責務を課すとともに、学校、保育所や地域住民にそうした施策に協力するよう努めるべきとする法案だ。これに加え、2016年10月から教育再生実行会議では、教育における「家庭の役割」を重要テーマとした議論が始まるなど「家庭教育」をめぐる動きが活発になっている。
 家庭教育をめぐる動きは以前からあったが、特に影響が大きかったのは2006年、第一次安倍政権のもとで改正教育基本法が成立した際、保守運動にとって念願だった家庭教育の項目が導入されたことだ。この後、自治体では「親の学び」についての講座開催やパンフ制作など、家庭教育関係の取り組みが盛んに行われるようになった。こうした取り組みの多くが母親に向けた内容になっていることは見逃せない。2012年12月には熊本県で家庭教育支援条例が成立。この条例は「モデル条例」的な役割を果たし、他県の議員が視察にくるなど自治体での条例づくりや家庭教育施策に大きな影響を与えた。現在、熊本のほか鹿児島、岐阜、群馬、静岡、徳島、宮崎の7県で家庭教育に関する条例が導入されている。
 現段階で明らかになっている「家庭教育支援法案」には、熊本など自治体の条例との共通点が多く、安倍首相をはじめとした保守勢力がすすめてきた「家庭教育支援」の流れにある法律といえる。また法案は、家族を「社会の基礎的な集団」として定めており、自民党の憲法24条改憲案の「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」という文と呼応する。さらに、保護者が「子に社会との関わりを自覚させ」「子に国家及び社会の形成者として必要な資質が備わるようにする」ために環境を整備する必要性をうたう。「家族」を国家のための人材づくりの場であると明文化しているのだ。
 さらに、この法案において、学校や保健所は家庭教育支援に関する活動の拠点として定められており、その役割がかなり大きい。国、自治体のみならず、学校や保健所までも含めた公の「家庭」への介入がき、地域住民も含めた戦前の隣組的な監視状況さえ起きていく可能性は否定できない。
 「家庭教育支援法」が成立したら、自治体での家庭教育支援条例の制定や、基本計画づくりなどが加速化する。さらに既存の施策にはさらなる予算が投入され、法が定める「国家及び社会の形成者として必要な資質が備わるようにする」ための新たな施策も展開されることになるだろう。
 「家庭教育支援」というと悪いことのように聞こえない面があるが、毎日新聞の報道(11月3日)によれば、自民党内で法案の検討に関わった上野通子参議院議員は「家庭教育ができていない親は責任を負っておらず、明らかに法律(教育基本法)違反。支援法で改めて正す必要がある」と語ったという。公による家庭への介入、及び個の尊厳の否定や既存のジェンダー役割強化に繋がるのではと、危惧しないではいられない。

山口智美/モンタナ州立大学教員

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*この記事は「女たちの21世紀」No.87【特集】女性に押し寄せる新しい貧困――「新・家制度」強化の中でに掲載したものです。一部を特別に公開します。

【対談】 竹信三恵子 × 堅田香緒里
女性に押し寄せる新しい貧困

「生活困窮者自立支援法」という悪夢

竹信 きょうは「女性に押し寄せる新しい貧困」というテーマで、いったい私たちの状況はどうなっているのか、女性の貧困の最新事情について話したいと思います。
 これまでずっと女性は貧困でした。たとえば「男女雇用機会均等法」(以下、均等法)が施行された1986年の女性の給与所得水準をみてみると、300万円以下が8割を超えています。それが均等法から10年で6割台まで減りました。まだ6割もいることは問題ですが、加えて、最近では、アベノミクスの「女性が輝く」政策によって女性たちが猛然と追い立てられて、これまでとは違った様相の貧困が生まれつつあると感じています。
 堅田さんは生産領域だけでなく、再生産領域における搾取の問題を取り上げて、貧困問題に取り組んでいらっしゃいます。そうした観点から、いま日本で、どのような事態が起きていると感じていますか。

堅田 私は貧困をめぐる問題や言説、そして対貧困政策について研究しています。最近では、ここ20年の貧困領域におけるさまざまな政策動向の「集大成」としての「生活困窮者自立支援法」(以下、自立支援法)に注目しています。1990年代以降、対貧困政策において「自立支援」という言葉が頻繁に用いられるようになりました。その対象は非常に多岐に渡り、若者やシングルマザー、「ホームレス」、生活保護受給者が含まれます。そこでは、就労を通して福祉への依存から脱却すること、すなわち「就労自立」が目指されていたといってよいでしょう。ところが、今の日本は生産領域が掘り崩され、雇用は壊滅状態ですから、いくら「自立支援」をして「働け」といったところで食べていける仕事はほとんどありません。このため、多くの論者が、これをワークファースト型の日本版ワークフェアとして批判してきました。自立支援法は、そのようななかで成立しました。この法は、生産領域における「就労自立」を志向している点ではなく、むしろその「支援」の対象が再生産領域に拡大してきている点にこそ、危うさがあると私は考えています。ここでいう再生産領域とは、家事労働などのケア労働に限りません。「挨拶ができるか」「規則正しい生活が送れるか」といった日常生活の細々としたものまでが含まれています。

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竹信 確かに、内面まで立ち入った管理がすさまじくなっていますね。

堅田 実は自立支援法成立より以前にも、その前兆のような動きを見てとることができます。たとえば2005年に生活保護に導入された自立支援プログラムでは、就労自立に加えて日常生活自立、社会生活自立というカテゴリを設け、それへの支援が制度化されました。2014年の生活保護改変においては、保護基準の削減や扶養義務の強化等が大きく問題化・批判されていましたが、そんななか、実はひっそりと導入されていたのが「ライフスタイルの改善強化」です。ここには、一見背反してみえる2つのベクトルを見出すことができます。1つ目のベクトルとして、生活保護受給者は自らの健康管理、家計管理に努めなければならない、つまり健康や家計の管理が自己責任であることが明記されました。もう1つのベクトルとして、「ライフスタイル」の領域にも「支援」が導入されるようになっています。これは従来の、とにかく「働け」と駆り立てるワークファースト型の「支援」とは質の異なるものです。就労の手前で、生活や家計の管理等に課題を抱える人に「寄り添い型」のきめ細やかな「支援」を提供しようというものです。もちろんそれによって本当に助かる人もいるわけで、こうした支援には確かに望ましい面もあります。しかし私は、こうした支援のあり様には問題があると思っています。第一に、自立支援法は生活困窮者を対象としていながら、現金給付がほとんどないということです。「自立支援」という名の人的支援はするが、生活困窮を解消するための所得保障はしない、というわけです。ここには、所得保障(再分配)と自立支援(承認)の間に取引関係がみてとれます。第二に、そこではライフスタイルの領域にまで「支援」メニューが拡大することで、生活態度や家計管理などの「日常のふるまい」が「問題」とされていきます。そうした態度は、「これだけ支援してもなお自立できない者は自己責任だ」と、自己責任化のレトリックの強化につながる恐れがあります。このことは、生活困窮者への再分配を行わないエクスキューズとして機能するのではないでしょうか。さらに問題は、こうした「支援」の担い手として、NPO等に関わる女性たちが多く動員されているということです。

竹信 確かに多くの女性が自立支援に携わっています。私も「月間都市問題」という雑誌の企画で自立支援法の中の「中間的就労」について取材しました。実際に就労することを通じて働き方を学んでいくという職業訓練と就労の中間にある福祉的働き方なのですが、英国、イタリア、韓国では、国からの補助金などを通じて、こうした就労にも最低賃金が保障されています。一方、日本では、一般の労働市場並みの水準まで達しないと最低賃金は保障しなくていい枠組みになっており、その部分に国からの金銭的支えもない。そこを女性たちが中心になって必死で踏ん張っている感じでした。

堅田 再生産領域に関わる「寄り添い型」の自立支援は、従来の就労自立一辺倒の自立支援とは異なり、支援する側にとっても徒労感が相対的に少ないように思います。また支援される側にとっても、ただ「働け」と駆り立てられるわけではないので、しんどくない。つまり、支援する側もされる側も承認欲求が満たされるのではないでしょうか。しかし、その陰では所得保障のような再分配がごっそり抜き取られていくのです。このように考えると、いったい誰のための自立支援なのか、という問いが生まれます。生活困窮者を対象とした自立支援法でありながら、生活困窮を解消するための所得保障はほとんど行われず、自立の「支援」が氾濫していく。自立支援は、それを必要とするとみなされる人がいないと成り立たないので、まさに貧者・生活困窮者は支援者の承認や「自立支援産業」を支えるために機能的に必要とされているとみなすこともできます。とはいえ、自立支援にも大きなお金が付くわけではないので、ここに労働市場では周辺化されがちな女性が活路を見出す、動員されるという側面があります。

竹信 問題なのは、産業構造が大転換し、稼げる仕事がどんどん減っているのに、そこを手当するようなお金の回し方を政府がしていないことだと思います。介護とか保育とか貧困者の支援とか、急増する「稼げなくなった人たち」を支える仕事に女性たちが動員されていきますが、「女性は夫がいるからボランティア的な働き方でも困らない」というとっくになくなった前提に立って、ここにお金をつけない。だから、半無償労働のような形になり、社会のニーズのある仕事なのに賃金が出ないということで、新たな貧困が生まれてしまうのですよね。

均等法以降の「女性」の貧困と「女性」の分断

堅田 また最近、私が気になっているのは「冠貧困」の問題です。「女性の貧困」「子どもの貧困」「下流老人」「若者の貧困」などの、貧困問題を語るときの切り口に違和感を持っています。
 たとえば「子どもの貧困」という問題の立て方があります。そこでは、「子どもの貧困」への対策が、「子どもは親を選べない。だから貧しい家庭に生まれた子どもの貧困について、子どもには責任はない」というレトリックで正当化されてきました。しかし、そうした論法は簡単に、「大人の貧困」については自己責任だ、という主張につながってしまいかねません。「子どもの貧困」対策を正当化することが、「大人の貧困」対策を脱正当化する、という裏表の関係になっているのです。最近では「女性の貧困」がよくいわれますが、そうした問題の立て方もまた危険を孕んでいるように思います。「女性の貧困」といったとき、そこでは、障がいや病気などのために、そもそも生産力にならないとみなされるような女性は周辺化されがちです。「女性」も一枚岩ではない。私はそういう理由で貧困を冠で語ることに抵抗を感じます。

竹信 それは全くそのとおりですね。ただ、なぜあえて「女性」で括るかというと、これまで「女性の貧困」については「女性は結婚すればいいから困らない」「困っているのは男だ」といわれ、注目されなかったからなんですよね。最近では男性の貧困も大幅に増え、あたかも貧困が新しく出てきたかのようにいわれ始めて、再び女性の貧困は無視されています。私たちは、このような経緯から、女性の貧困に注目してもらえるように「女性の」を使わざるをえなかったわけです。

堅田 よくわかります。私も以前は「女性の貧困」という言葉をしばしば使っていたし、いまでも文脈によっては使うことがあります。しかし、女性といっても一枚岩ではないので「女性が貧困だ」という言い方でいいのか、迷いながら取り組んでいる状況です。
 とはいえ、若い世代を除けば、男の人より女の人の方が貧しいということは、はっきりしています。雇用の領域も社会保障の領域もとても厳しい状況です。新自由主義的な状況の中でどんどん切り縮められていて、その影響を最も受けやすいのが女性だと思います。そのような意味で、女性の貧困は範囲も広く、深さも深く、とても深刻な問題です。

竹信 先にも言ったように、「女性は結婚すればなんとかなる」は、すでに通用しません。結婚してもなんとかならないし、まず結婚しない、また、しなくて何が悪い、ましてや、結婚してDV夫などと同居しなくてはならなくなったら、もっと貧困になる、とさえいえますが、堅田さんは、どのような変化が起きているとみていますか。

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堅田 結婚は多くの場合、子どもを産み育てるという生殖目的と結び付けられています。もともと女性の賃金が低く、いまでは男性の賃金も下がっているなかでは、専業主婦になったり、子育てしたりすることが難しく、結婚するメリットはなくなったということではないでしょうか。ただ、それ以前に、「結婚すればなんとかなる」というように、貧困脱出のルートとして結婚しかない状況はそもそもおかしいと思いますが。

竹信 男性でも年収200万円以下の人が増えていますからね。
 私は、均等法は女性を労働市場に引き出すという点では有効だったと思います。女性を家庭内の無償労働力から、企業の賃労働者に変えて、労働力の供給を増やし、賃金の抑制に役立てる、ということで、これは経済界の考え方ですよね。ただ、そのとき、支配層内には、利害の対立がありました。官僚や政治家の間には、介護など家庭内の「無償嫁労働力」として据え置くことで福祉費用を抑えたいという考え方がありましたから。この対立を、女性を長時間労働の男性並み基準に合わせる形にすることで、折り合わせたのが均等法です。欧州では、企業に対する男女共通の労働時間規制で、男女ともに家庭内無償労働と賃労働に従事し、かつ税金で福祉的労働を支え、企業、男性、政府の三者が女性の負担を分けるという方向を目指しました。ところが日本では、労働基準法の女性保護を撤廃し、女性も長時間働かないと正社員という安定雇用には就けないことにしたのです。これで、丈夫で協力的なおばあちゃんがいたり、出産を選ばなかったりする女性は、総合職という男性コースに入ることができるようになりましたが、そうでない女性は、相変わらず家事・育児・介護の無償労働を担いながら低賃金のパート労働力として働くことになりました。これで、男性並みの無制限使いたい放題労働力を増やし、かつ、女性を無償福祉労働力+低賃金労働力として温存する、という一挙解決もできたわけです。均等法制定と同じ年に、夫の扶養に入っている女性には第三号被保険者という主婦年金を新設し、「均等法で男性並みに働けなくなった主婦などがパートよりもいい仕事を家事の合間にできるようにする」(高梨昌信州大名誉教授)として、労働者派遣法も制定しましたが、これらは、そうした世界観にもとづいた制度改変ですよね。その結果、女性を中心に非正規労働は急増し、これが、男性も巻き込んだ非正規の増加の端緒になり、現在のワーキングプアの温
床になっていきました。

堅田 均等法は、男のスタンダードを変更せずに、女がそこに近づいていくという形ですね。他方で、第三号などの制度を通して、一方で「含み資産」とみなし無償労働の担い手として、他方で低賃金労働者として、国家と資本が「女」を活用し続けるためのしくみが完成しました。

竹信 そこにはもうひとつのメリットがありました。男性労働者に総合職女性という競争相手をつくって、彼らにはっぱをかけることができるのです。当時、新聞記者として取材した証券会社で、「男どもには、『女性だってがんばっているんだ、それができないお前たちはスカートをはけ!』といっているんですよ」と悦に入っている役員がいました。しかも、女性だけにかろうじてあった深夜労働の規制がなくなったことで、管理職たちの頭の中に時計がなくなった。過労死はこのあたりから激増していきます。

堅田 女に与えられた選択肢は、男になって稼ぐか、被扶養に甘んじて貧するか、ということですね。
 私は1979年生まれのいわゆる「ロスジェネ」です。お金がなかったので、当時もっとも授業料が安かった大学・大学院に進学しました。奨学金制度も利用していたため、700万円近くの借金を現在でも返済し続けています。これは私に限った特別な状況ではなく、研究職を志していた多くの友人も私と同じような状況に置かれています。私は運よく研究職につけましたが、友人の中には研究職に就けずに死んでしまった人や、行方がわからずに未だに連絡がとれない人もいます。教育は雇用される前の人的投資のような機能をもたされており、教育を受けた後には競争に勝って正規職に就くか、就けなければ死ぬか、とんずらするか、というような深刻な状況になっているのです。私たちの「学びたい」という当たり前の欲求や暮らしが守られず、気づいたら債務奴隷になってしまいます。研究職なので特殊な例かもしれませんが、アナロジーとして一般の雇用事情にも同じことがいえるのではないでしょうか。

竹信 そのような前借制度的な強制労働制は、すごい勢いで広がりつつありますね。たとえば、保育士や介護士の労働力確保のため、再就職準備金制度をつくると政府は発表していますが、2年間働かないと返済が免除されません。労働条件を上げて定着を図るのでなく、前借で縛るのです。

堅田 次は自衛隊がそのような制度を設けるのではないでしょうか。
 現在の政治の根幹は「奴隷根性」を浸透させることにあると思います。秘密保護法制定も憲法改正も人々を隷従させるためです。それを手っ取り早く行うのが債務奴隷化だと思います。

竹信 先ほどおっしゃった「女性の貧困」といった冠貧困ですが、確かに、こうした債務奴隷化や劣悪非正規化による貧困化のパターンは、いまはもう女性に限らず広がってしまったので、それを「女性の」で切ってしまうと、見えるものが見えなくなってしまうのでは、という疑問はありますね。

堅田 そのとおりだと思います。また、「女性の貧困」が社会問題化されるときに、「年収200万円以下で生活する若年単身女性が急増している」というような言い方をされますが、そもそも年収なんて考えられない人からすれば、200万円でも「すごく稼いでいる」と感じるのではないでしょうか。多くの場合、収入が問題にされるときは、雇用されていることが前提で、いかに賃金が低いか、労働条件がよくないか、がポイントになります。そうすると、たとえば全面的に福祉で生きている人や、国の制度や男のお金に頼らず、独力で路上生活している女性の問題が抜け落ちてしまう。少なくともマスメディアの言説ではそうした女性の問題は切り離されて語られているという印象です。「女性の貧困」という問いの立て方は、意図していようがいまいが、女性の間の差異をも無視してしまう危険を孕んでいると思います。

竹信 マスメディアは縦割りの発想です。たとえば、労働と福祉は別の世界のこと、という分け方をするのですが、生活という面から見ると、福祉の対象は労働ができない条件にある人であって、地続きなんですよね。マスメディアのそうした特殊なレンズをはずさせるのは大変です。ただ、それが一般の人のレンズだったりもするので、悩ましいですね。

堅田 そういうことからも、竹信さんの「家事労働ハラスメント」という問いの立て方は大変貴重だと思いました。私もそうですが、「女性」として括られることに抵抗のある女性もいます。

竹信 確かに「男/女」という枠組みが不便なときがあります。しかし、それを使わないと分析しにくいというのも事実です。

堅田 そして、その枠組みから離れようとすると、やたらと「ダイバーシティ」を強調する新自由主義的な勢力に回収されてしまう危険性もありますよね。

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女性の無償労働を利用する新自由主義

竹信 さて、ここまで話してきたような均等法からワーキングプアまでの流れは、ある意味、私の世代が経験してきた従来からの女性の貧困のパターンだと思うのですが、いま、実は、女性の貧困の質が激変しているのではないでしょうか。新しい現象をよりリアルに体感している世代と思える堅田さんに、その変質ぶりを語っていただきたいのですが。

堅田 1つには、竹信さんがずっと発信してこられたように、雇用の変化、労働そのものがどう変わってきたか、切り縮められてきたか、ということなのだと思います。これにもう1つ付け加えたいのが、社会保障等の公的な責任が減退してきた、あるいはその質が変化してきた、ということです。その際、頻繁に用いられたロジックが「自立支援」でした。
 新自由主義はⅠ期とⅡ期に分かれているといわれます。Ⅰ期はロールバック型と呼ばれ、1980年代のサッチャリズムに体現されるような、小さな政府ですべてを市場に任せていく、というものです。これに対してⅡ期はロールアウト型と呼ばれ、国家は単に撤退(ロールバック)するのではなく、市場の自由を徹底させるためにむしろ積極的な役割を果たしていきます。と同時に、市民が「アクティブな市民」になって国家を肩代わりすることを期待されます。「新しい公共」や「第三の道」等がこれにあたり、市民社会とか民間活力の導入が進められるわけですが、それが最も進められてきたのが福祉分野でした。そして、ここで女性が積極的に活用されてきたのです。一般の労働市場で「男性並み」に働くことができない女性が、自らの働き場所や生きがいというものを、市民社会に見出しているのです。これは国家にとっては自らの負担を減らすことができ、企業にもうまみがありましたが、同時に女性の「自己実現」にもつながりました。新自由主義とフェミニズムの親和性、または癒着関係ともいうべき事態をここに見てとるこができます。

竹信 それは、新しい貧困要因ですよね。この夏、北海道夕張市で学生たちとフィールドワークを行うことになり、昨年来、何度か夕張に事前調査に出かけているのですが、ここはまさに、「アクティブな市民が国家の肩代わりをする」の実験場になっています。財政破綻して、当時の小泉政権が「自己責任」路線のモデルケースにするため自力返済を迫られた。税金が借金の返済に充てられてしまうので、公共サービスに十分にカネを出せない。そこで高齢女性などが、公共サービスにあたるものを必死に代替しています。たとえば、公民館の運営を、こうした住民が引き受けたり、公共空間にある花壇の手入れを住民が無償でやっていたり。安倍政権が「一億総活躍」の旗を振っていますが、まさに「総活躍」です。住民の一人の60代の女性は「いったいいつになったら、私たちに『老後』は来るのか。財政破綻の直後はみな、頑張って市を立て直そう、と気を張っていましたが、今年で破綻から10年。もういい加減疲れて気力が失せてしまう」と話していました。そろそろ借金返済から住民の生活の向上のために公的資金を戻して、公共サービスを回復する措置を取らないと、頑張ってきた住民たちも疲れ果て、希望を失ってしまうわけです。
 そんな話を聞いていると、「新しい公共」ではなく「公共の死滅」ではないか、と思えてきます。公共が撤退してしまうと、そこへ無償労働者としての女性が動員されていく、という構図そのままですよね。

堅田 そうだと思います。厄介なのが、それが女性にとっても「自己実現」のチャンスであったりすることです。一般の労働市場に入れない女性のなかには、そこに活路を見出している人も多くいます。

竹信 それが、ケア労働の賃金の足を引っ張っている要因の1つになっているかもしれません。かつて、福祉NPOで活躍している女性に福祉業界の労働条件引き上げの話をしたら「人のお世話をする崇高な仕事なのに、賃金だの労働条件だのいうのはおかしい。私たちは労働者なんかではない」といわれて驚いたことがあります。女性が福祉労働の劣化の尖兵になりかねないと衝撃を受けました。

堅田 子ども食堂を熱心にやっている人が、ホームレスへの炊き出しには否定的なことがあるのですが、そこにも共通する問題があると思いました。ただし、問題なのは、女性がNPOや低賃金の福祉労働に従事せざるをえない、そうした選択肢しか用意されないような構造のほうだと思います。

竹信 確かに、再生産領域での女性活用、利用、搾取を前提にして、ものごとが進んでいますからね。たとえば、DVの相談員をしている女性たちは、高い技能を低賃金で提供しています。DVという大きな社会問題の解決のために税金を投入して、相談にあたる働き手の生活を支える必要があるはずですが、生活できるだけの賃金にならず、やりがいを目いっぱい利用されて、女性たちはヘトヘトです。先日も、こうした相談にあたっている女性から「どうしてこんなに忙しいのかしら……。周りを見ても、ひまな女性が本当にいなくなっている」といわれました。「それは、ケア的な公共サービスのニーズが増え続けているのに、そこに税金を出さないからだよ」と答えました。低所得層への再分配や、これを支えるケア労働者の賃金に税金が使われていない。社会に必要な労働がまともな雇用にならない。そして、女性たちが食べるために行う賃労働の合間に、その種の無償労働にどんどん投げ込まれてきているのです。

堅田 意図せざる共犯関係という感じでしょうか。安倍政権に限らず、いわゆる新自由主義政権はこのような事態はとうに見越していると思います。「新しい公共」とは民主党(当時)時代に出てきた言葉ですが、自民党政権に戻ってもこの言葉を捨てなかったことには意味がありました。市民社会やNPOは「使える」ということです。彼らは、壊滅的な労働市場ではもう人々が十分に稼げないことはわかっているため、「新しい公共」という枠組みを導入し、市民社会を国家の肩代わりとして活用しながら、同時に、労働市場から排除/周辺化された人々の「承認」欲求を満たそうとしている、ただし「再分配」はしない、という仕組みになりつつあるのではないでしょうか。

ケア労働力として収奪される外国人女性

竹信 アベノミクスの「総活躍」政策による貧困化キーポイントは、日本国内の女性にとどまりません。アジアなどからの移住労働者の女性たちも、そこに巻き込まれつつあります。日本の女性を承認欲求で釣るだけでは、労働力として限界があるので、移住労働者も導入し、外国人への差別感を利用して、安いケア労働力として利用する試みです。

堅田 おっしゃるとおりです。ただそれはアッパーミドルの女性向けではないですか?

竹信 本当にそうだといいのですが。私は、やりようによっては、ロウワーミドルの女性も対象になるのではないかと心配しています。2014年3月に、シングルマザーがベビーシッターに子どもを預け、死なされてしまった事件がありました。飲食店で働いていて、インターネットの紹介サイトでベビーシッターを探して2人の幼児を預けたところ、その男性シッターの部屋で子どもの1人は遺体で見つかり、もう1人は放置されて低体温症になっていたという事件です。保育園不足が放置されれば、こうした所得が高くない女性も、手軽に預かってくれる場所としてシッターが必要になりうると思うのです。国家戦略特区で今年から「家事支援人材」という移住労働者の利用が解禁されましたが、その際、ベアーズという大手家事代行会社が、新聞社の取材に対し「普通の女性も利用できるように、最低賃金を割ってもいいよう政府に働きかけたい」という趣旨のコメントを出しています。この発言は波紋を呼び、アジア女性資料センターや移住者と連帯するネットワーク(移住連)などからの働きかけもあって、政府は、最低賃金は守ると約束しました。ただ、みなが黙っていたら、その可能性はあったと思います。しかも、日本の仕組みは、家事支援人材は、3年経ったら自動的に出身国に戻されるので、有期ではあっても更新によって何年も滞在できる香港などと違って、労働組合などのネットワークをつくっての待遇向上運動はしにくいです。こちらの監視の目がゆるめば、条件を引き下げた中低所得者向けサービスの提供は理論的にはありえると思っています。低所得なのに保育園に子どもを預けられない女性向けの「貧困ビジネス」ですよね。

堅田 なるほど。移住労働者の労働条件向上において、労働者の連帯は非常に重要だと思うのですが、それが構造的に困難な状況の中、貧しい世帯の保育ニーズを利用した「貧困ビジネス」が成立し得るということですね。ますます子どもを産み育てにくい社会になってしまいます。

竹信 日本では、2000年前後のジェンダーフリーたたきで性教育を封じ込めてしまいましたから、産めないときに産まない選択ができる女性も減っていくのではないかと危惧しています。安倍晋三首相もそうですが、「新しい歴史教科書をつくる会」に支持された小池百合子東京都知事が誕生し、性教育バッシングをしてきた人たちが主流になっています。中流家庭なら子どもにある程度の知識は教えるでしょうが、生活が苦しい家庭では目いっぱい働かねばならず、性教育をしている暇もない。こうした家庭の子どものなかには、学校が性教育に尻込みするようになったことで、生理を知らない女の子もいた、という話も聞いています。性教育の貧困からくる貧困も、女性に対する新しい貧困として今後、増大してきそうです。産めない経済状態なのに産まない選択ができなかった女性たちにとっては、極端に低賃金の外国人労働者による極安ケアサービスが頼みの綱になってしまうかもしれないですよね。

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続きは「女たちの21世紀」No.87【特集】女性に押し寄せる新しい貧困――「新・家制度」強化の中ででお読みください。


 アジア女性資料センター代表理事の竹信三恵子です。

 米国の大統領選で「初の女性大統領」は実現せず、ヘイトスピーチめいた演説を大展開し続けたトランプ氏が大統領になりました。さまざまな原因はあると思いますが、大きかったのは、格差の拡大による白人中流層、労働者層の民主党への失望と、白人層のマイノリティへの反発だったように思います。NAFTAからTPPへ、民主党は、自由貿易によって米国が潤うと主張してきましたが、大手企業の海外脱出で中流労働者層は大失業に見舞われました。そうした恩恵にあずかれるのは、新しいエリート層や富裕層だ、という人々の実感が、「女性大統領」待望論などかき消し、中流層をより苦しくしてしまいそうな超富裕層のトランプ氏に大統領の座を渡す結果になってしまった、という感じです。

 性差別はなお根強いにもかかわらず、白人の低学歴女性と新エリート層に上昇して行った女性たちとのズレが広がり、「女性の人権」「ジェンダー平等」が、こうした新エリート層の女性たちのものだと錯覚され、ヒラリー・クリントン氏がその象徴のように扱われてしまった可能性があります。これは、日本の女性運動への警鐘としても真剣に向き合っていかなくてはならない問題ではないでしょうか。

 そんな中で、海外では、低所得層も含めた女性の人権のために、政府が福祉や教育など、女性の無償労働に背負わせてきた部分にどれだけ税を投入しているかを問う動きが広がっています。スイスが富裕層や大手企業の税の逃避先になっていることは知られていますが、そのスイスの法制度が女性の人権保障と対立するのではないかという訴えが、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)に出され、これに対する最終見解が近く出されるというのです。

 持続可能な開発目標(SDGs)をちゃんと守れ、という主張がその底流にあります。SDGsについては、当センター機関誌「女たちの21世紀」No.84【特集】持続可能な開発目標(SDGs)と女性のエンパワーメントで特集していますので、「それって何?」という方は是非ご一読ください。

 途上国だけでなく、保育所に十分な税金が使われないことを批判した「日本死ね」のブログが席巻する私たちのいまを考えると、SDGsを生かして女性の貧困を税制問題ともリンクさせ、それをCEDAWにまで持ち込んだ運動は参考にすべきではいかと思います。

 以下、不十分な仮訳の段階ですが、ご一読ください。

 また合わせて、次の拙文もご参考までに紹介します。
【WEBRONZA】パナマ文書と「日本死ね!!!」(竹信三恵子)

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女性の人権への税制の影響めぐりスイス、国連で苦境に
(2016年11月3日 タックス・ジャスティス・ネットワークSwitzerland in the UN hot seat over impact of its tax policies on women’s rightsから)

 タックス・ジャスティス・ネットワークの金融秘密度指標で一位にランク付けされているスイスが、今週、同国の税・財政についての秘密政策が世界の女性の人権にもたらしている負荷をめぐって、ジュネーブの国連の人権機関からの厳しい質問に直面することになった。スイスの人権団体や国際人権団体、税の公正を求める団体の連合に背中を押され、女性差別撤廃条約(CEDAW)の順守状況を監視する国連委員会が、スイスがどのようにして、その金融秘密政策・法人税ルールと、男女平等・海外の持続可能な開発との両立を確保しているかについて詰問したからだ。
 
 スイスのような秘密保持、超低率税または免税、という仕組みを持つ国にファンドを移すことによって企業や富裕層が公正な税の負担を避けることを通じ、各国政府は毎年、膨大な歳入を失っている。こうした税は、基本的人権を満たす措置を取るために必要だ。政府の財源が枯渇すると、政府は公共的な政策や社会的な保護を削減せざるを得ず、その不足部分をしばしば無償のケア労働で補っている女性が、これによって最も直撃される。それ以上に、富裕層や企業がその責任を回避すると、持たざる者を最も直撃する消費税への国の依存度が増大し、女性はその矛先をも向けられることになる。

 女性差別撤廃条約の批准国として、国連の持続的開発目標(SDGs)の調印国として、スイスは、女性の諸権利にとって三位一体ともいえる諸政策を自国でも海外でも回避してきた。同様にスイスは、企業の税の乱用を防ぎ、各国が人権を実現するために必要な歳入を生み出し、保つことができるよう助けることを通じて、女性の諸権利を著しく損ないかねない民間部門の行為を阻むことを義務付けられている。SDGsの実施状況を監視する国連フォーラムへの6月レポートで、スイスは「非合法な金融の流れの原因をなくす国際的な努力をコーディネートするため働いてきた」と申し立てた。その「非合法な金融の流れ」にはまさに、スイスを「税務署員」の目をくぐることを目指す人々にとっての最高の目的地としている金融の秘密政策や緩い企業報告書基準が含まれている。

 世界の記録されていない全オフショア金融資産の3分の1は、金融情報の秘密度指標1位のスイスが保有していると見積もられている。国境を超えた税の乱用は開発途上国から毎年5000億ドルの歳入を奪っていると概算されているが、この額は、途上国が先進国から受け取っているODA総額の倍だ。インドやザンビアのような国々では、スイスに促進された税の乱用による歳入損失の額は、女性の人権や、健康などの必須の社会サービスへの支出のかなりの部分に匹敵する。
 
 女性差別撤廃委員会に出された画期的な提出文書と附属資料では、アライアンス・ズート、ベルン宣言、経済と社会権センター、ニューヨーク大学のグローバル・ジャスティス・クリニック、タックス・ジャスティス・ネットワークが、スイスに対し、その金融秘密政策と緩い法人税ルールが与える影響、さらに他の国々の女性の人権のために予算がどれだけ動員されているかについての開示について、定期的な報告を行うよう呼びかけている。これらの組織は、他の国々が女性の人権を満たすために必要な資金を動員することを阻んでいる税制の乱用をさせない措置をスイスが確保するため、スイスに対し、主要な法律と安全装置となる政策、特に、独立機関による定期的なインパクトのある検証、を具体化するよう促している。

 この提出文書に背中を押され、女性差別撤廃委員会は、スイスの金融秘密主義と法人税政策が女性の人権と海外の持続可能な開発に逆行する影響をもたらすことに懸念を表明した。そして、スイス政府に対し、同国がその政策を、SDGsの2030年アジェンダにもとづく対応と、どのように折り合わせるかを質した。

 用意された回答の中でスイスは、税制の乱用が持続的開発やジェンダー平等にもたらす害については認めたが、この腐食現象を促進するために自らの政策が果たす役割を評価し、検証への乗り出しには至っていない。

 スイスが11月2日、国連の女性の人権についての最高機関の前に出現したことは、恒常的な不公正な税の乱用に対する闘いの決定的な一里塚となった。女性差別撤廃委員会の関与は、政府が税や金融政策の人的影響にも責任を負うようにする人権制度の取り組みの急拡大のもうひとつの証でもある。

 女性差別撤廃条約はスイスに対する最終見解と勧告は今月後半に表明される。私たちは分かり次第、その結果についてお知らせしたい。

【仮訳・竹信三恵子】

 20016年4月、フランス議会は「買春禁止法」を可決した。これは性的サービスに対価を支払った場合、3750ユーロ(約47万円)以下(初犯は1500ユーロ)の罰金が科せられるというものだが、この法律の成立によって、フランスのセックスワーカーの置かれている状況はさらに厳しくなるといわれている。
 日本における中国人女性の国際結婚、中国人の国際移動の研究者であり、パリの中国人セックスワーカーの支援にも携わるエレン・ルバイさんは、この法律の成立過程に詳しく、議会前で行われた抗議デモにも参加した。2016年7月14日、ルバイさんに「買春禁止法」成立の背景や妥当性、今後の課題についてお話を伺った。そして、セックスワークと移住と「女性の」労働を重ねて研究してきた社会学者の青山薫さんには、日本におけるセックスワーカーを取り巻く現状と課題についても解説していただいた。
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エレン・ルバイさん:

 フランスでは売春は合法です。法的なフレームワークについてお話します。新たな「買春禁止法」に関する5つのポイントです。
 まず1つ目のポイントは、この法律によって客引きの罪が廃止されたことです。
 2つ目は、この法律によって客側が起訴されることになりました。いかなる性的なサービスでも購入する行為は罰金の対象になります。
 3つ目は、売春を辞めるための支援プログラムを導入したことです。売春、斡旋、人身取引の被害者に対して、社会的、専門的なリハビリプログラムが提供されます。
 4つ目は、セックスワーカーが搾取に関して告訴する、あるいは法廷において証人になることを受け入れた場合、一時滞在許可が得られることになったことです。
 5つ目は、暴力事件において、被害者が性別を問わずセックスワーカーであった場合は、加害者の罪が重くなる理由になります。
 フランスの法律の枠組みにおいて新しい要素ではないのですが、重要なポイントとして、売買春の斡旋が不法になるということがあります。金銭の支払いを伴わなくても違法です。ここでは「斡旋」の定義が重要なポイントになります。例えば、インターネットや新聞等で公に宣伝をする行為は罰せられる対象です。また、セックスワークの場所を提供することも犯罪行為となります。フランスの多くのセックスワーカーは、ストリートあるいはインターネット上で仕事をしています。

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歴史的な背景

 法律成立までの約2年間、さまざまな議論がされましたが、特徴は1980~90年代に国際的になされていた議論の反復だったということです。
議論における1つ目の立場は、「売買春そのものが女性に対する暴力である」という考え方です。女性は「被害者」であり、抑圧から女性たちを救うという目的があります。
 2つ目の立場は、売買春には多様な現実があり、性別を問わず、それぞれが権利の主体とみなす考え方です。かれらの能力を高める、エンパワーメントが目的になります。
 この2つの対照的なアプローチは、国際的な条約や声明の文言に影響を与えるためにアドボカシーに取り組んできました。1つの事例として、1995年、北京女性会議(第4回世界女性会議)を挙げます。北京女性会議では、セックスワーカーのエンパワーメントという観点から行われる2つ目のアプローチがみられます。
 2つ目の事例ですが、2000年のパレルモ条約(国際組織犯罪防止条約)に関連しています。この条約のなかには、買春そのものを女性に対する暴力と考え、女性を被害者とみなすというアプローチがみられます。この条約では人身売買の定義というのは、とても広い内容です。フランスの新しい「買春禁止法」は、このパレルモ条約に大きく影響を受けています。

なにが問われているのか

 この法律が問うていたことは、売買春が法的に許容される行為であるのか、そして、売買春は特定の法的な枠組みが必要なものなのか、セックスワークの脱犯罪化、非犯罪化は可能なのだろうかということです。
 社会政策の観点からは、保護かスティグマ化か、という二項対立的なポイントが問われています。セックスワーカーを保護するという見地から、売買春の犯罪化は有効なのかという問いです。
 この法律を支持したのは社会党、共産党、新左翼、極左系の政党などでした。この法案を提出したのは社会党の副党首のモード・オリビエールという女性です。この法案の支持者には買春を廃絶しようという立場がいました。主にカトリック系のグループです。
 法改正に反対する立場だったのは小規模の政党である緑の党です。そして重要なのは、コミュニティを拠点としたNPO、NGOの多くが反対したことです。このようなコミュニティNPOの半数以上は、現在あるいは元セックスワーカーであった人たちがメンバーで、当事者団体として活動しているという特徴があります。そのほかにもセックスワーカーの労働組合も反対しました。当事者団体とは別の理由ですが、警察の組合や裁判官の組合も、この法律に反対しています。
 法改正の反対派で中心となるコミュニティグループの多くは1990年代~2000年代に設立されました。それはフランスのエイズ省(エイズに関連する公的な機関)が1989年に設置されて以降のことです。フランス南部に3つの主要なグループがありますが、うち2グループがパリにあり、そのうちの1つはトランスジェンダーの人たちのグループです。より新しいグループは、アドボカシーグループあるいは労組で、「STRASS」というグループが、今、もっとも活発に運動しています。
 また、セックスワーカーのグループを支援する団体もあります。こうした団体は全国各地にありますが、家族計画に関する活動をする団体は、内部でこの法律に対する立場に分裂がありました。
 国民議会での法案投票日の採決の日には、2つの異なる立場によるデモがありました。法律を支持する立場のデモと、法律に反対する立場のセックスワーカーたちによるデモです。反対のデモには中国人セックスワーカーのグループやトランスジェンダー/トランスセクシュアルの人たちのグループなどが参加しています。
 現社会党政権は、当初、この法律はフランスにおける男女平等の実現に重要な貢献をするだろうと位置づけていました。ちなみに社会党政権は、2年前に平等に関する法律として同性婚を認める法律を成立させています。

反対派の議論

 「買春禁止法」の成立に反対する立場からは、どのような議論をしてきたでしょうか。4つの論点を紹介します。
 1つ目は、セックスワーカーの多様性に関する認識がないことの指摘です。セックスワーカーの声が周縁化されたままだと主張しました。
 2つ目は、セックスワークそのものが暴力ではなく、その労働条件が暴力のより大きな要因となるということです。
 3つ目は、セックスワークの犯罪化は、結果として、セックスワーカーに常にネガティブな影響を与えるということです。セックスワークを犯罪化すると、セックスワーカーの労働条件が悪化してしまいます。警察の取り締まりを恐れて、交渉が必要な契約条件が悪化してしまうのです。セックスワーカーは不可視化され、孤立してしまいます。
 4つ目は、スティグマ化を悪化させるということです。この点については、またあとで説明します。
 また、フランスの政策の目的が明確になっていないという問題も指摘されています。セックスワーカーを保護したい、あるいはセックスワークをやめようとする人を助けたいという欲求は、移民を規制する政策的な目的と重なるところがあるという問題です。

中国人セックスワーカーの事例

 こうした議論を具体的にフランスの中国人セックスワーカーの事例から分析していきたいと思います。
 1つ目に紹介したセックスワーカーの声が周縁化されてしまうという問題についてですが、立法上の手続きのなかで、セックスワーカーが関わっているNGOあるいはその支援者たちは聴聞会に参加してきました。しかし、自分たちの声、自分たちの意見が考慮されていないという印象を立法府に対して持っています。
 パリにおける中国人セックスワーカーは政治家にとって非常に課題の多い事例でした。それは私たちのなかにある偏見、そして既存の理解と大きく異なるという理由からです。
 中国人セックスワーカーの平均年齢は43歳で、人身取引の被害者はいません。ほとんどが独立して働いています。2014年に中国人セックスワーカーたちは自分たちのコレクティブ(グループ)を形成しました。グループ名は「鉄のバラ」といいます。活動の目的は、メンバーの声を伝えていくことです。しかし、活動を通して周縁化やスティグマ化の克服には非常に多くの困難があります。地方の政治家、主に社会党や共産党の議員たちは、このグループとの面会すら拒んでいました。実際に支援していたのは緑の党だけです。
 なぜ政治家たちはセックスワーカーのグループと会うことを拒否しているのでしょうか。政治家たちは中国人セックスワーカーグループに対して非常に差別的な対応をしました。彼らは面会を拒否した理由として「中国人セックスワーカーは代表制に欠けるからだ」といいます。彼らは「中国人のセックスワーカーは非常に恵まれた地位にある」と主張しました。また、「中国人セックスワーカーたちは、ほかの貧しい女性たちのグループによって操られている」「中国人セックスワーカーはおそらく犯罪者である」「ほかの女性たちを搾取している」などといった大変ひどい差別的なことも言いました。このグループが行った最初のデモのときに掲げたプラカードには「私は犯罪者でもないし、犠牲者でもない」と書かれています。
 2番目の暴力というのはセックスワーカーの労働条件から生じるものという論点です。多くの国々と同様にフランスにおいてもセックスワーカーは暴力の対象になってきました。彼女たちが受ける暴力にはさまざまな種類があります。路上で侮辱されるという言葉の暴力や身体的な暴力、レイプもありますし、警察からの虐待もあります。ここは私が特に主張したい重要なことなのですが、人身取引というのは一般化されるものではありません。なぜここが重要なポイントなのかといえば、今回の新しい法律で、セックスワーカーは搾取され、人身取引の被害者であるということが前提となっているからです。中国人セックスワーカーは、非常に不安定な状況のなかで働いていることはありますが、ほとんどが独立した地位で仕事をしています。
 統計的な面から暴力の問題を紹介します。2011年のNGO「世界の医師たち」の調査結果では、55%が身体的暴力を受けたことがあり、38%がレイプの経験があります。23%が客から監禁されたことがあり、17%が殺人の脅迫を受けたことがあります。注目してほしいのは、74%が1度以上、警察に逮捕されたことがあると答えました。平均すると一人のセックスワーカーが1年に6回も逮捕されていることになります。極端な例では、1年に100回逮捕されたという事例もありました。これは非常に深刻なハラスメントです。
 こうした暴力は、スティグマ化と密接に関係があります。セックスワーカーに対するスティグマ化は、セックスワーカーに対する暴力は罰せられるものではない、暴力をふるってもよいという感覚が警官たちや地域の人たちに共有されてしまうのです。このような感覚が広まってしまうと、実際に暴力の被害に遭った女性たちが法に訴えることが難しくなるため大変心配されます。実際、被害に遭った女性たちの21%のみ被害を訴えることができていません。
 3つ目の論点ですが、セックスワーカーやその客の犯罪化、彼らに対する弾圧的、抑圧的な法律は、セックスワーカーの労働条件を悪化させます。そしてその結果、さらに深刻な暴力被害を生み、4つ目の論点であるスティグマをさらに強化することになるのです。セックスワーカーやその客の犯罪化は、セックスワーカーを、よりインフォーマルで孤立した状況に追い込みます。連帯的な支援を求めることも難しくなり、性感染症などのリスクも高まるのです。
 「買春禁止法」が議論される段階で、すでに中国人セックスワーカーへの影響が見られました。一つの影響は彼女たちは、街頭で仕事をしなくなり、インターネットを使うようになったことです。また、いろいろな町を回っていく就労形態に変化しました。そこでの大きな変化は、中国人セックスワーカーが独立して仕事をする形態ではなくて、仲介者を必要とする状況になったという点です。
暴力の被害も増加しているという問題もあります。犯罪化がスティグマを悪化させているからです。
 次は買春を離職するための支援プログラムについて話します。フランスに滞在する資格を持っていない外国人セックスワーカーは、滞在許可をもらうために離職プログラムに申請をします。この支援プログラムの条件は、トレーニングの期間中に、セックスワークを完全にやめなくてはいけないということです。ここで1つの議論が起きました。離職プログラムに申請したのは「よい女性たち」で、申請しないのは「悪い女性たち」だという区別によって、さらなるスティグマ化が起きてしまったということです。

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法律成立の本当の目的は?

 この法律を成立させる目的は何か、優先事項は何なのかということも議論されました。この法律で成し遂げたいことは、セックスワーカーを守ることなのか、それとも非正規の移民を取り締まることなのかということです。
 中国人セックスワーカーの事例が非常に興味深いのは、パリのいくつかの地域における警察の取り締まりの中心的なターゲットが中国人セックスワーカーだったということです。この理由は、中国人セックスワーカーたちはこれまでセックスワークがあまり行われていなかった地域で仕事をしているからでした。
 客引きをしているという理由による警察の取り締まりは1年前からありました。法律が制定されてからも警察の取り締まりは止んでいません。警察が取り締まりをする理由は、中国人セックスワーカーが滞在許可を持っていないからです。警察は、アジア人女性にだけ書類を見せるようにいいます。ここで明らかなのは、彼らの目的は「保護」ではなくて、「取り締まり」だということです。取り締まりが優先順位なので、写真を撮ったり、パスポートのコピーを破いたりなどという脅かしや侮辱的、差別的な行為による取り締まりが行われています。
 このような状況への対応として中国人セックスワーカーは、コレクティブとして、政策を変えるために近隣の地域の人たちとの対話をつくりだそうとしてきました。2015年6月には、中国人セックスワーカー・コレクティブはピクニックを行っています。象徴的な行為として、ベルビルという地域の街頭の掃除をしました。彼女たちにも、このエリアを綺麗にしたいという意思があることを示すためのアクションです。ベルビルの地域住民と会合も開いたことがあります。

おわりに

 結論ですが、1つは、セックスワーカーのグループと協力していくというのが重要だということです。セックスワーカーを支援するNGOである「世界の医療団」がやろうとしているのは、スティグマ化に伴う不安定化、高いリスク、暴力、搾取、警察対応など、新しい法律の影響を記録していくことです。「世界の医療団」は医師たちと中国人セックスワーカーたちと一緒にプログラムを行っています。もう1つは、セックスワーカーの離職支援プログラムが差別的なものではなく、またセックスワーカーに対する社会的なコントロールを強めるものにならないことを確実にすることです。

以上です。ありがとうございました。

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青山薫さん:

 エレンさんとお目にかかるのは初めてなのですが、共通点がすごく多くて感動を覚えているところです。 4点ほどに絞って私のコメントを述べさせていただきたいと思います。
 1点目は、フランスの独特な状況について。2点目は、フランスの状況がいかに世界的に普遍的なことかということ。3点目は、日本への影響をどのように見ていくか。これはアジア女性資料センターからの宿題でもあります。4点目は、アジア女性資料センターがせっかく主催してくださったということなので、私からのフェミニストへの提言をさせていただきたいと思います。 
 まず、1点目、フランス独特の状況についてですが、私は、今回の買春の犯罪化の立法を、上院が3回も否決しているということ、そして2回目に下院で可決されたときの人数に注目します。この議論は、フランスの国会で2年間行われてきました。上院で議論し、下院で否決され、また上院に戻り否決され、今回下院で可決されました。この議論がいかに難しかったかということです。
 最終的に可決されたときの議員の投票者数が非常に少なかったのはショックでした。下院議員は、日本の衆議院と同じで選挙で選ばれるわけですが、577人中たった100人ほどの人たちが投票した結果、可決されてしまったのです。賛成は62でした。非常に非民主的と言わざるを得ない部分があると思います。
 なぜこういうことになってしまったのでしょうか。私が聞いたのは、どちらの立場に立っても難しかった。賛成にしても、反対にしても有権者、支持者が嫌がると議会を欠席してしまった議員がとても多かったと聞いています。
 1つ独特の状況として、賛成派が説得力を持っていた声としては、売る方については非犯罪化していくということです。今までは犯罪であり、罰則があったのに、それをなくしているのですね。かわりに客の法を犯罪化したということで、賛成票を投じた人たちにとっては、非常に強力な魅力でした。「女性のためになる」という議論ができたわけです。ここは、ほかの国に比べて独特なところかと思います。

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「北欧モデル」

 ご存じの方も多いと思いますが、客の犯罪化は、いわゆる「北欧モデル」といわれるものです。そこで行われてきた議論、そしてすでにいろいろな調査が出ていますが、結果はほとんど重なっています。その議論がフランスに影響し、フランスを含むヨーロッパ議会の議論にもなっていきました。ヨーロッパは北欧モデルで買春に対処していこうと議決をしています。
 影響が大きい共通点についてですが、買春の罰則化は、スウェーデン、ノルウェー、アイスランドで行われています。これにはフェミニストたちもさまざまに関わって努力しました。女性に対していい立法をしたという考え方が一方では強いわけです。
 他方、罰則化後のノルウェーでの調査を見ても、やはり以前よりもセックスワークがアンダーグラウンド化しています。そして、多様性を認めていない。自己決定でその仕事をしている人たちにとっては、マイナスでしかない状況になっているのです。自分が犯罪でないといわれも、お客さんが犯罪だったら、商売にならないわけですから。
 リスクを一言でいうと、お客の危険度が相対的に高くなるということです。今までは合法だったので、いわゆる普通の人が客として来ていました。しかし、犯罪化され、客自身が犯罪になる可能性が出てからは、「犯罪でもいいからやりたい」という客の層が必然的に増えます。このリスクは大きいです。まず交渉の時間が少なくなります。捕まえられたら困るから客は短時間の交渉をしたがり、そもそも危ない人の母数が増えてしまったなかで、セックスワーカーは危険な客を見極めなければならないのです。非常に危険だということがわかります。このような調査レポートが、ノルウェーやスウェーデンでも出ました。しかし、このことは立法した人たちはほとんど語りません。研究者や当事者団体が語っているのが、現在の主な状況です。

日本への影響

 日本への影響についてですが、特に外国人の移住の取り締まりとの関係が大きいと思います。日本では2004~2005年、移住の取り締まりと平行して性産業への取り締まりが厳しくなりました。きっかけはアメリカによる人身取引報告書です。その報告書で日本が要注意リストに入れられてしまったために日本政府は慌てて人身取引の行動対策を出しました。それと平行して、不法滞在移民の取り締まりを厳しくするようになったのです。これにより性産業全体のアングラ化、スティグマ化、条件の悪化してしまいました。どこも同じようですが、日本もいわゆる「不法移民」の取り締まりを進めるなかで、性産業が特にターゲットになっています。日本でも北欧モデルでやろうという意見もすでに出てきている状況です。ところが、そういう動きを知っているのはすごく限られた人たちだけです。当事者の声を届ける機会もないまま進められてしまっては非常にまずいと思います。フランスでも2年かかったし、議決にもとても難しいということがありました。しかし日本では、議論自体がなされないまま、一部の人たちのみでただ進んでいるのではないかということを、私は一番危惧しています。

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フェミニズムの課題

 4点目ですが、この問題は非常に難しいのです。セックスワークは約150年、ずっと議論が続いている分野です。フェミニストのなかでも大きな対立があります。当事者のなかでも割れています。非常に難しい問題ではありますが、私がやはり強調したいのは、だれも知らないところで議論、ロビーイングあるいは政策決定を進めてはならないだろうということです。当事者の声あるいは自己決定つまり「私が決めるのだ」ということがフェミニストにとっては非常に大事だったはずだからです。フェミニストのスタンスとして、大きな影響がある法律をつくるときに、当事者や当事者近い支援者や研究者の話を聞かないのは大変な問題ではないでしょうか。
 私はフェミニズムの大事な原点だったはずの、人と人との不平等を解消しよう、女の中の分断を解消しようという視点がないがしろにされているのではないかと感じています。そこを取り戻したいのです。
 セックスワーカーの人たちが、どのようにして、奴隷状態(Situation of Slavery)に陥っていくか、つまり人身取引だったらものすごい搾取に遭って、給料も与えられない、閉じ込められてしまう、パスポートも取り上げられてしまうという状況に陥っていくかという条件を考えました。私の調査の結果、大きな2つの要素に、労働条件(Working Condition)と、人とのネットワーク(Access to Social resources)があることがわかります。
 労働条件が悪化すればするほど、アングラ化して、業界以外の人たちとのつながりが切れてしまいます。そして奴隷に近い、非常な搾取状況に陥りやすくなるということです。状況が悪化すると、無力感や、怒り、憎しみ、後悔などが、自分のなかにわいてきてしまうことがあります。だから、労働条件とネットワークが悪化するということは、スティグマ化だけではなくて、本人の内面でも悪いことが起こると私は考えていました。
 エレンさんの発表にも、そのとおりの結果があり得ると、中国人セックスワーカーの議論をしていただいたのですが、これを防がなければいけないと思います。もし性産業で働いている人の安全を守りたいのならば、労働条件をよくすること、それから彼ら/彼女らの横のつながり、他とのつながりを切れないようにすることが必要なのだと思います。
 以上です。

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【『女たちの21世紀』86号掲載記事より特別にウェブ公開しています】

  「新翼賛体制」にどう立ち向かうか  竹信三恵子 

竹信さん

はじめに

 どこかへ行こうとすれば、いまどこにいるのかを知らなければならない。だが、私たちはいま、自分たちがどこにいるのかさえわからなくなっている。報道管制が静かに進み、社会の底流で何が起きているのかさっぱり見えなくなった。そんななかで美しげな政治スローガンばかりが飛び交い、同時に、そのスローガンを裏切る政策が裏で推進され続けている。代表例が女性政策だ。「女性が輝く社会」が日々叫ばれる一方で、保育や介護などの公的サービス、一日の労働時間規制など、女性活躍の大前提ともいえる基盤は大幅に崩されつつある。にもかかわらず、「輝く」の連呼に幻惑され、与党に吸い寄せられていく女性は目立つ。なんとなく、みんな与党。そんな異論が言えない社会に、私たちは雪崩を打って転がり込みつつあるのではないのか。こうした「新翼賛体制」に歯止めをかけるために私たちは何ができるのか。真剣に自問すべき時が来ている。

新翼賛体制の標的としての女性

 ヨクサンってなんのこと、と首をかしげる人は多いかもしれない。第二次大戦のさなか、長期化する日中戦争を国家総力戦体制によって乗り越えようと、当時の近衛文麿首相を中心に新体制運動が展開された。政府対軍部、といった支配層の内部対立の解消や、国民の自発的な戦争協力へ向け、1940年、首相をトップとする大政翼賛会が結成された。「戦争に勝つ」を理由にした政府への無批判な一体化が健全な異論を封じていった。そんな状況を「翼賛体制」と呼ぶ。いま、周囲を見渡すと、こうした翼賛体制が、新しい形で生まれているように思える。
 2016年2~3月、スイス・ジュネーブで、国連女性差別撤廃委員会による日本の女性差別撤廃条約実施状況が審査された。「従軍慰安婦」問題が大きなテーマのひとつとなったこの委員会の場に、今回は、拉致事件に抗議するバッジをつけた男性や、「なでしこの会」と名乗って「慰安婦」問題を批判する女性グループのメンバーが多数、出没した。彼ら彼女らは、日本から参加したNGOメンバーを無断で撮影し、ネット上で「左翼」「小汚いNGO」などの誹謗メッセージとともに公開している。同委員会に先立ち、政府が2月上旬に東京で開いた説明会には、右派とみられる男女が多数参加し、会場からの質問をほぼ独占する形で「従軍慰安婦」問題攻撃を繰り広げた。男女平等を求める場が、これを批判する場にひっくり返ったような瞬間だった。さらに、3月中旬からニューヨークの国連本部で開かれた国連女性の地位委員会(CSW)では、「慰安婦」問題についての日本の加害責任を否定する団体が「女性NGO」としてイベントを開催した。
 この5月に開かれたセクシュアルマイノリティの集会「東京レインボープライド」では、夫婦別姓などに否定的な考え方を繰り返し表明してきた自民党の稲田朋美政調会長が登壇してあいさつした。稲田氏は同党内でLGBT問題への取り組みを推進するという。
 一連の動きは、何が狙いなのか。
 ひとつは、野党の掲げてきた政策スローガンを奪う「抱きつき作戦」で、次の参院選の争点ぼかしを図ること。また、現政権の柱のひとつである新自由主義的経済人たちにとって、女性やLGBTは消費者として、労働力として、市場の行き詰まりの打開に役立つ潜在的資源だ。この資源を政権の側につけて、徹底利用を図ること。
 そして最後が、改憲に必要な多数を取るために、幅広い市民社会の抱き込みが始まっているということだ。安倍政権は、女性の支持率が一貫して男性を下回ってきた。改憲への道を整えるには、有権者の半分を占める女性層の取り込みは必須だ。そのためには男女平等に批判的なメンバーを女性運動の場に送り込むことで、その分断を図っていく必要がある。
 多くの女性団体や市民団体は改憲に批判的な立場を取ってきた。これらのグループが目指す人権や平等、生活の向上を実現するには、人間を消耗品として使い捨てる戦争を避けることが不可欠だ。とすれば、平和憲法を守ることなしに目的は達成できない。こうした敗戦の教訓が薄れてきたいま、「憲法などという一銭にもならないもの」にこだわるのをやめ、政府に協力すれば、各団体の掲げる目先の個別課題は実現させるという取り引きを持ち込めば、乗る人々も出てくる。こうして、社会運動を改憲反対から引き剥がしていく作業がひそかに進行していると考えれば、わかりやすい。

「女性活躍」はおいしい

  「女性が輝く社会」の名の下に進められている女性活躍政策は、これらの3つの狙いに適合している。まず、男女平等の実現は野党の政策と考えられてきたので、これを標榜することは「抱きつき作戦」として有効だ。また、次の潜在的資源としての女性利用の徹底にもかなっている。
 日本は2012年、中国に抜かれてGDP世界3位に転落した。安倍政権は「アジアで一番」でなくなった喪失感を「強い日本を取り戻す」のスローガンで穴埋めしようとする。そのために、女性の動員は欠かせない。少子化による労働力不足の中での低賃金労働力として、家庭内で育児や介護を引き受ける無償労働の担い手として、女性ニーズという新しい消費の柱として、最近では末端自衛官として、あますところなく女性を利用することが、国力の増強には大きな力になるからだ。
 3つ目の改憲反対からの引き剥がし策としても、これまで無視されがちだった女性に焦点を当てることで女性たちの承認欲求を満たし、遠くの憲法より現実の女性の地位向上、という層を生み出すことができる。
 第二次安倍政権の個々の女性政策を追っていくと、これらの構造が浮かび上がってくる。
 高年齢出産への不安をあおって早期出産を迫るものとして批判を浴びた「生いのち命と女性の手帳」(仮称)や、「希望出生率1・8%」の目標設定は、「強い国家」のための人的資源の増強へ向けた女性の動員策だった。だが、これには、「産めないのは若い世代の低賃金のせい」「保育所が足りない」「長時間労働をどうしてくれる」といった女性たちからの批判が盛り上がった。次に飛び出したのが「待機児童の解消」へ向けた保育園増設策だった。これは歓迎された。だが、施設の増加に見合う保育士が集まらないという新しい問題が起きた。保育士の待遇が低すぎて、資格を持っていても働きに出てこないからだ。とはいえ軍事費の増加や法人税減税などの中で、保育士の待遇改善には容易に公的資金を回せない。打開のため、20時間程度の研修による促成栽培の保育支援員制度が設けられた。また、2016年度から、外国人家事労働者を特区に導入してベビーシッターなどの形で在宅保育にあたらせる策も打ち出された。これらの低賃金労働によって、働く女性たちが自力でサービスを購入し、人材ビジネスなどの企業のビジネスチャンスを増やすことでGDPを引き上げ、社会保障費も抑え込む構想だ。
 介護報酬も引き下げられたが、ここにも低賃金の外国人実習生を充てる策が打ち出された。
 すでに女性政策の外側では、「高度プロフェッショナル人材制度」が国会に提案されている。「高年収で専門的」な働き手を労働基準法の1日8時間労働規制から外す政策だ。適用基準を引き下げていけば、将来的には多くの女性が8時間労働の適用外となり、「柔軟に」働かせることができる。こうした層には、外国人家事労働者のサービスを自力で購入させることで公的保育にかける税金を節約できる。一方、2015年には労働者派遣法が改定され、不安定な派遣労働者が固定化されることになった。派遣女性は、出産すれば契約を解除して派遣会社に戻せば、産休・育休についての会社負担は避けることができる。
 社会保障も企業負担も抑えて、自己責任で子どもを育てつつ働く女性労働者が手に入り、女性の承認欲求が満たされて政権の支持に回ってくれれば、まさに、フリーライドの女性動員となる。
 その仕上げが、マスメディアによる情報操作だ。問題点の報道を抑えて「女性活躍」を連呼させれば、女性はすでに活躍しているかのような錯覚が社会に生まれるからだ。NHKの会長人事や、報道番組の有力キャスターの降板をはじめとするメディアの抑え込みが、ここで威力を発揮する。マスメディアだけではない。メディア研究者の桂敬一氏は、自民党が2013年に「Truth Team」(T2)女たちの21世紀 No.86  2016 6月 8という組織を設置し、ネット上で自民候補の応援をすると同時に自民党とその候補に対するネット内の書き込みを監視・分析を行い、誹謗中傷を発見したら削除要請や法的手段を取ることを始めている、と述べる(「月刊マスコミ市民」、2016年5月号)。ネット言論の監視強化だ。

等身大の私たちを確認する窓を

 一連の政策の背景にある安倍首相の究極の狙いは、祖父の元首相岸信介氏を踏襲した国家主義の呼び戻しだともいわれる。2012年に自民党が発表した改憲草案は、こうした世界観に裏打ちされている。たとえば、家庭内の男女の平等を規定した憲法24条は、改憲草案では「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」とされている。つまり、個人ではなく家族を、守るべき単位として規定し、「助け合わなければならない」との義務規定を書き込むことで、女性の家族への無償の奉仕をさらに強める姿勢だ。
 「主権在民」から「民を国家に奉仕させるシステム」への再転換によって戦争できる国へ復帰を目指すことは、第二次大戦後の米国を中心とした世界秩序や、基本的人権、平和主義などを柱とする国際社会の普遍的価値から離脱し、米国との衝突を招くとの懸念も出ている。活動家の武藤一羊氏は、これは米国からの自立による国家主義の復活ではなく、国家主義の復活を認めてもらうために米国への一層の忠誠心、軍事一体化、経済的譲歩という卑屈な大盤振る舞いを差し出すというねじれた接合だと指摘する(『戦後レジームと憲法平和主義~〈帝国継承〉の柱に斧を』2016、れんが書房新社)。内輪だけで「遅れた隣国を近代化したアジアに冠たる強い先進国」をはやして盛り上がり、外には「米国の先兵になりますからよろしく」と、すり寄る姿勢だ。そんな内向きの妄想を維持するには、海外報道や事実報道を遮断するしかない。いま進んでいるメディア規制は、こうした内輪だけの盛り上がりの維持のためとも見ることができる。
 だからこそ、私たちはいま、世界の中、アジアの中での等身大の自分自身を確認する窓を確保しなければならない。これからやってくる外国人家事労働者・介護実習生を、サービスを提供するだけの都合のいい記号ではなく、対等な生身の人間として直視し、どのように向き合うのかを考えていかなければならない。「従軍慰安婦」と呼ばれた女性たちの存在をなかったことにすることでプライドを取り返すのでなく、彼女たちを通じて、私たちを含む女性全般を性の提供者として国家に奉仕させるからくりを暴き、押し返す試みを強めなくてはならない。
 国境や貧富を越えた情報交流によって、私たちは自らを覆う目隠しを打ち砕き、窓をつくることができる。この窓を通じて、自分たちがいまどこにいるのかを確認してこそ、私たちは歩き出す方向を定めることができる。今回の参院選は、新翼賛体制を防ぐための正念場だ。まずはそこへ向かって歩き出すため、アジア女性資料センターも、ささやかな窓のひとつになりたい。

たけのぶ・みえこ/アジア女性資料センター代表理事、和光大学教員

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